ソフトウエア開発現場 の”プロフェッショナル“
三好 武重(みよし たけしげ)
(株)SRA
オープンソースカンパニービジネス部CMM担当プロフェッショナル
プロフィール
1942年生まれ。1970年、東京都立商科短期大学卒業。同年 (株)SRA 入社。SEおよびプロジェクト・マネジャーとして、各種の基本/応用ソフトウエア開発・保守、およびプロジェクトの管理・運営に、17年間従事。また、協同システム開発 (株)にて、7年間にわたり、国家プロジェクトを含むソフト業界の共同プロジェクトの管理・運営を経験。その後、「ソフトウエア・プロセスの評価・改善」の道に入り、SPICE 国際標準案の試行や米国SEI のCMM に取り組み、国内で数多くのアセスメントとプロセス改善のコンサルティングを実施。現在、ISO/IEC JTC1/SC7 WGlO/ SPICE プロジェクト、北アジア太平洋地域ローカル・トライアル・コーデイネーター。米国CMU/SEI 公認CBA IPI リードアセッサー。同SCAMPI リードアプレイザー。同CMMI インストラクター。
高まるCMMへの関心
ソフトウエア開発の品質向上や標準化が叫ばれて久しい。しかしながら、その成果はなかなか目に見えるものとはならなかった。近年、日本国内でも品質保証のための国際規格ISO9000シリーズを取得するソフトウエア企業は、珍しくなくなった。そして今やCMMの認定の取得が注目の的になっている。CMM(Capability Maturity Model:能力成熟度モデル)はアメリカ・カーネギーメロン大学のソフトウエア工学研究所(SEI Software Engineering Ianstitute)が提案したソフトウエア開発プロセスの改善手法である。レベル1からレベル5までが設定されており、レベル1は何もソフトウエア開発プロセスを改善していない状態であり、レベル3が商用のシステム開発に求められるレベルである。さらにレベル5は軍用システムなど特別のシステム開発に求められるレベルである。
筆者は1997年に、インドのシリコンバレーといわれるバンガロールに滞在してIT企業を調査した経験がある。訪問した小規模なIT企業の役員が「うちはモトローラの仕事をしているのでSEIのレベル5に合わせている」と自慢げに話していたが、当時はその意味がよく分からなかった。調べてみると当時レベル5の認定を受けていたのは、世界でただ―っインド・モトローラ社のみであった。現在、日本では日本アイ・ビー・エムがレベル5、富士通がレベル4を取得している(2002年12月20日現在)。
このようにCMM への関心が、日本で急激に高まった背景には、2001年、経済産業省が政府調達のシステムの選定基準として、このCMMの認定を重視する姿勢をみせたためである。
三好武重は、現在、日本におけるCMMリードアセッサーの草分けとして、ソフトウエア業界のソフトウエア開発現場の改善に努力を続けている”リード・インプルーバー(Lead Improver)である。実はCMMは―つのものではない。ソフトウエア開発向け、システム工 ンジニアリング向け、ソフトウエア調達向けなどに分かれていたが、現在それらはCMMI(Capability Maturity Model Integration)に統合されてきている。三好はこのCMMI のリードアセッサーに加えて、インストラクターの資格も2001年から翌年にかけて取得している。ちなみにいずれも日本人としては初めての資格取得であった。日本人のCMMIリードアセッサーは現在5人、CMMIインストラクターは、まもなく2人が誕生するという(2002年12月20日現在)。このように今注目を浴びているCMM の第一人者の三好だが、外見はあくまで温厚で、控えめである。
CMMリードアセッサーに必要な資質
CMMのアセスメントは、現実の会社組織の活動状況をモデルと比べて、その強みや改善点を明らかにすることを通して、ソフトウエア開発のプロセス改善のために役立てるものである。リードアセッサーは会社内から選ばれたチームメンバーと共に、経営者から技術者までの多くの人に面接して、数週間で会社組織の評価を行う。またリードアセッサーは、こうしたアセスメントの流れをリードするだけでなく、組織のプロセス改善活動を具体的な展望をもって、指導・支援していくことが役割としてある。
CMMあるいはCMMIそして後に述べるSPICEのいずれもソフトウエア開発プロセスを改善し、品質や生産性を向上させるためのモデルである。このモデルを使って、現実のソフトウエア開発プロセスを評価し、改善を行う。その際モデルはあくまでモデルであるので、そのままソフトウエア開発の現場には適用できない。海外でつくられた難解な用語や表現を含むモデルをよく吟味して自社の生産現場に合ったエ夫をし、分かりやすい「プロセス」をつくることが重要である。実際、モデルにあるヒントを読み取り、現場に適用させる工夫をすることは、ソフトウエア開発の現場についての経験を十分に持ったものでなければできない相談だ、と三好はいう。
「リードアセッサ として必要な資質は三つです。第一は気力、体力、忍耐力そして平常心です。第二は専門の技術力および複雑な話やモデルを整理して分かりやすく説明する力です。第三は開発、保守現場の実践経験とモデルの実践的な適用の経験です」と三好は語る。
SRAに入社
1942年に生まれた三好は、都立小金井工業高校を卒業後、各種放送機器を製造していた芝電気に入社した。この当時から製品開発よりも製品の品質管理、開発工程に興味を持っていた。また、外国人の技術者がくると一緒にきた通訳にも興味を持った。そのため、会社が当時の米軍立川基地の近くにあったので、その基地内にあったクラブで、夜、英会話を学び、これをマスターした。この時、テキストの中の「まず、徹底的な自己評価から始めよ」、「スキルの向上と自己開発の機会に終わりなし」という言葉に触発されたという。ソフトウエア開発プロセスの改善に全力を注ぐことになる後の三好を窃彿とさせる逸話である。
その後、東京都立商科短期大学(現東京都立短期大学)に入学、ここで日本のコンピュータの草分けである竹中直文教授に出会い、その紹介で1970年に設立3年目のSRAに入社する。三好によればこれが第一の転機だという。
設立されたばかりで従業員が、まだ3、40人のSRAに入社した三好は、日本ユニバック(現日本ユニシス)の大型コンピュータのOS周りやアプリケーションソフト開発の仕事を経験した。とくに入出力制御システムを担当し、各種の技術相談を受けたり、トラブルの解決にあたったりした。トラブルの解決のためにマシン語を駆使して、トラブル発生の状況をトレースし、その原因を突きとめた。この体験から客先でトラブルが発生している時の冷静な対応の仕方、「腹を据えて事に当たる平常心」などを学んだ。
また、その後も航空制御システム、金融アプリケーション等々、多くの開発および保守プロジェクトで、技術者およびプロジェクト管理者として現場経験を積み重ねていった。
国家的プロジェクトヘの参加
そして三好に第二の転機が訪れる。1987年に官民あげてのプロジェクトである協同システム開発に出向する。それを三好は「その時、たまたま運が良くて協同システム開発に出向できました」という。この間に、三好は国家的プロジェクトである「ソフトウェア環境統合化技術開発(FASET)」のプロジェクト・リーダーとして活躍する。ここで通常のソフトウエア開発現場では経験できない研究の機会が与えられた。また、ここで初めて三好は研究開発プロジェクトのマネジメントを経験する。つまり通産省(現経済産業省)などの役所関係への対応、研究者や専門家で構成される技術委員会への対応などの経験を積んだのである。
さらに海外において研究成果の発表も行った。イリノイ大学シカゴ校をはじめアメリカの大学で、FASET の研究成果を発表したことをはじめとして、結局、協同システム開発出向中の三回の海外出張で十数回の研究成果の発表を行った。また協同システム開発が内外の研究者、専門家を招いて開催した国際ワークショップやセミナーで、三好はコーディネーターも務めた。
つまり協同システム開発というこの国家的プロジェクトを通して、国内外に多くの人的ネットワークを築くことができただけではなく、国際的な活躍の場を得たのである。三好は謙遜しているが、それは単に「幸運」だっただけではない。「新しい機会に喜んで飛び込んでいきましたし、あらゆるチャンスを活かしました」と自らいうように、「幸運」をバネに国家的プロジェクトのプロジェクト・リーダーというチャンスを活かしきったのである。
SPICEの活動に将来を予感
7年間の出向の後、1994年、三好はSRAに戻る。そこで待っていたのは、ISO の日本側の組織である(財)日本規格協会のSPICE委員会への参加であった。ISOが制定したSPICE(Software Process Improvement and Capability dEtermination 正式名称はSPA、Software Process Assessment) とはソフトウエア開発プロセスのアセスメントや改善のための国際標準モデルである。とくにSPICEの自己改善という考え方に強く惹かれた。
三好は多くを語らないが、昔から品質管理や生産工程に興味を持っていた彼が、その時これこそ「天職」だと思ったことは間違いない。ここからソフトウエア開発のプロセス改善について本格的に収り組むことになり、1994年暮れに香港で開かれたSPICE会議に日本から唯一の「アセッサー」として参加し、SPICE方式のアセッサー・トレーニングを受けた。
そして翌年には、SPICE方式の国際レベルの第一次試行手順にそったアセスメントをSRA社内で実施し、その結果をオーストラリアのブリスベンで開催された国際会議で発表した。
ここでも「たまたま、運が良く」、CMMの提案者であるカーネギーメロン大学ソフトウエアエ学研究所のキーパーソンたちとも知り合った。これ以降の三好はソフトウエア開発のプロセス改善の道をまっしぐらに進む。
その後SPICE の第二次試行をSRA社内で実施し、それを外部に発表する。1997年からはSPICEの正式制定に向けた北アジア太平洋地域の「ローカル・トライアル・コーディネーター(LTC)」に就任した。
このSPICE の活動をきっかけに、1996年富士ゼロックスがアメリカからリードアセッサーを招いてCMMの公式アセスメントを行った際にチームメンバーに加わった。これ以前にも非公式なCMMのアセスメントはあったが、公式なものは、この富士ゼロックスが日本で最初であった。そして引き続き3年にわたり、このCMM の公式なプロセス改善活動に参加した。三好は、ここでCMMの実践的な使い方を学んだ。また、このほか日本で行われた多くのCMMアセスメントに、アセスメント・チームメンバーとして参加する。このようにして三好はCMM導入の実務を通して、ソフトウエア開発におけるプロセス改善のコツを学んでいったのである。
この間の1998年にカーネギーメロン大学のソフトウエア工学研究所でCMM のリードアセッサー・トレーニングを受講する。トレーニングはアメリカ以外イギリス、ドイツ、インドからの21人の参加者で、連日、プレゼンテーション、ロールプレイの実習があり、相当に厳しかったらしい。しかし、三好はCMMのこのコーストレーニングは「緊迫感と活気に満ちた明るい雰囲気」のものだったという。短期間の集中コーストレーニングで三好にも相当にプレッシャーがかかっていたと想像されるが、それを「明るい雰囲気」というあたり、三好の、このコーストレーニングにかけた意気込みが分かる。このトレーニングを受け、翌年アメリカの熟練リードアセッセーの観察を経て、SEI公認のリードアセッサーになった。このトレーニングが終了して、ピッツバーグからの帰途、三好はCMMを使ってソフトウエア開発現場を改善するという自分の将来を予感したという。若い頃から品質管理や開発工程に興味を持ち、すでにSPICEに関わっていた三好にとって、最強の武器を得たという気分だったのだろう。
今後のソフトウエア開発の課題
2001年、前に述べたように通産省(現経済産業省)は、政府調達にあたってCMMの統合版CMMIを重視する姿勢を示し、そのためのキックオフセミナーが開かれた。政府調達にを重視するとあって、聴衆は五百人を超えるほどであった。三好はそこでSPICE、CMMの実践経験を中心に報告を行った。さらにすでに述べたように、この年三好は再びカーネギーメロン大学のソフトウエア工学研究所に出かけ、CMMI のリードアセッサー、インストラクターの資格を日本人で初めて取得している。
この頃から三好は、CMMIなどのソフトウエア開発のプロセス改善の重要性に気づいた多くの国内企業から、ソフトウエア開発のプロセス改善のコンサルタント業務やアセスメントの依頼を多く受けるようになった。
CMMI、SPICEをはじめソフトウエア開発のプロセス改善への関心は急速に広がっているが、三好はこれを必ずしも好ましいとは考えていない。というのは、CMMIやSPI CEなどを使ったプロセス改善は、現場と密着して地道に進める活動であり、最近の風潮にあるような単なる「流行」に終わらせてはならないと考えているからである。さらに相変わらず顧客の要件仕様が明確にならないうちにソフトウエア開発を進めざるをえないことなど、現場にはまだ多くの問題がある。いくらしつかりした「プロセス」を確立しても、おおもとのシステム要件が不安定で、かつ納期を変更できなければ、「プロセス」は機能しない。これらの問題の改善にもチャレンジしたいと三好は考えている。
さらにまた、SPICEやCMMIなどのモデルはもともと生産現場の諸活動を扱った身近なものであり、これらのモデルと生産現場との橋渡しをできる人を社内に育てていくことが極めて重要だという。
三好はCMMアセスメントという仕事柄、SRA社内にいることが少ない。社内にいると「三好さん久しぶりですねといわれる」と苦笑いした。
そして若い人たちへのメッセージとして「エンジニアは自分で技術を鍛えるものです。他人や会社を頼りにしてはダメです」と述べている。ちなみに三好の座右の銘は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」であり、もちろん座右の書は宮本武蔵の『五輪書』である。
なお三好のSRA内での肩書きは「プロフェッショナル」である。これは社内だけではなく業界で通用するスキル・技術を持った技術者に与えられる。1990年からはアメリカの学会誌「IEEESoftware」において、同誌に投稿論文を掲載するかどうかを決定する論文レフリーも兼ね、また、ここ数年は、海外で開かれる「SPICE国際カンファレンス」のプログラム委員としても活動している。
また三好の趣味は、国内だけでなく海外でも通用するジョークのデーターベースをつくること、その一っを披露してくれたが、その「アセスメント」はやめておこう。
(takashi umezawa)
注 所属、役職等は取材時のものである。