「顧客への貢献」を第一に掲げる電子申告システム
越沼 正典(こしぬま まさのり)
(株)TKC
システム開発研究所税務情報システム開発センター第一電子申告システム技術部部長
◆プロフィール◆
1958年生まれ。1981年、早稲田大手理工学部金属工学科卒業。(株)訳Cに入社、TKCシステム開発研究所配属。
これまでに担当した開発システムに、1981年、法人税申告書作成システム (TPSIOOO) 、1983年、RCS課金システム、1985 年、ノードプロセッサ(VIP-network の構築)、1988年、MS-DOS版/所得税申告書作成システム(TPS2000) 、1992年、MSDOS版/法人税申告書作成システム(TPS1000) 、1997年、税理士事務所オフィス・マネジメント・システム(OMS) 、2003年、電子申告システム(e-TAX シリーズ)などがある。
会計事務所の職域防衛・TKCの設立
越沼正典の勤めるTKCは、税理士、公認会計士の会計事務所向け財務会計システムと、税務情報システムを開発していることでよく知られている。実はTKCは地方公共団体向けの情報処理サービスなど、他のサービスも提供しているのだがTKCというと税務関係システムという連想が働くのは、それだけ税務システム分野における同社の存在が大きいからであろう。
TKCは1966年に栃木県計算センターとして、税理士、公認会計士である飯塚毅によって宇都宮市に設立された。設立の目的として「①会計事務所の職域防衛と運命打開のために受託する計算センターの経営、②地方公共団体の行政効率向上のために受託する計算センターの経宮」の二つが挙げられている。当時、地方公共団体からの受託計算処理を業務目的として設立された計算センターは多いがTKC のように会計事務所をターゲットとした計算センターは珍しかった。
TKC の設立は創業者である飯塚毅が、1962年、アメリカ、ニューヨークで開かれた「第8回世界会計人会議」に出席したことが大きなきっかけとなった。この会議に参加した飯塚は、当時アメリカでは多くの銀行がコンピュータによる財務計算処理を受託し、会計士、税理士の職域が大きく荒らされていることを知った。また小規模な会計事務所が大規模な会計事務所に吸収されつつあることも知った。これらの現象は、いずれは日本にも及んでくるとみた飯塚は、自ら計算センターを設立することを決意するのである。そのために、計算センターの設立目的の第一に「会計事務所の職域防衛と運命打開のために受託する計算センターの経営」が挙げられているのである。
コンピュータとの出会い
越沼は1958年栃木県宇都宮市に生まれた。「おとなしく、明るい性格」と自己評価をする。また越沼自身は「あまり先頭に立つことはなかった」というが、中学生時代には生徒会の副会長もやったということから見ても、リーダーシップはあったのだろう。この中学生時代に越沼は音楽と出会う。
「中学で音楽に目覚めました。ギターも弾いていましたが、合唱に熱を入れていました。高校ではオーケストラでバイオリンを弾いていました。勉強の方は国語や社会より、理科、数学が得意でした」と語る越沼は、大学は理科系の学部を志望し、早稲田大学理工学部金属工学科に進学した。
「実は早稲田の理工学部に入りたかったのは、理工系の勉強をしたかったというより、早稲田大学のグリークラブにぜひとも入りたかったのです」
早稲田大学グリークラブとは学内屈指の伝統を誇り、学外でも高い評価を得ている男声合唱団である。もっともグリークラブに入りたい一心だけではなく、理工系の勉強にも興味はあったらしい。
「本当は電気工学科に入りたかったのですが、入学試験の点数が少し足りなくて、金属工学科になりました」
早稲田のグリークラブを目指した越沼は、入学後その活動に熱中し、グリークラブの学生指揮者として活躍する。今でもグリークラブのOB の集いが年一回あり、越沼はそれを何より楽しみにしている。
「大学時代あまり勉強しなかった」という越沼だが、大学四年生の時に研究室でパーソナルコンピュータNEC のPC8001と出会う。
「このパソコンは学生が自由に使えたので、雑誌に載っていたアセンブラのゲームを入力して遊んでいました。これがパソコンと関わった最初です」
NECのPC8001は1979年に発売が開始された八ビット、言語としてはベーシックが搭載された本格的なパーソナルコンピュータであった。越沼は「ただ雑誌に掲載されていたアセンブラを入力しただけ」と謙遜するが、搭載されていた言語であるベーシックを使わずにアセンブラを使っていたことは、後のソフトウエア技術者としての越沼を初彿させるエピソードである。
「自利利他」の教え
「大学卒業後は宇都宮に帰って就職したいと思いました。またパソコンが面白かったのでその関係の仕事に就ければとも考えました。そんな時にリクルート誌にTKCの募集広告が載って、その社是である「自利利他』が良いと思って入社を決めました」
「自利利他」(自利とは利他をいう)とは大乗仏教の教えであり、創業者である飯塚毅が「自分の利益は、他人の利益を実現する行動のなかで実現する」とする平安時代の名僧、最澄の教えに感銘を受けて、これを同社では基本理念としている。TKC では、「自利利他」の現代的な解釈を「顧客への貢献」とし、これを第一に掲げ、常に顧客の利益をはかるということをモットーとしている。これが現在の越沼の仕事に対する姿勢にもつながっている。
大学時代はパーソナルコンピュータにゲームを入力して遊んでいた越沼だが、入社して初めて本格的にコンピュータシステムに触れることになる。
「1981年に入社しましたが、ちょうど法人税申告書作成システムであるTPS1000がCOBOLによって開発中でした。この開発に途中から加わりました。そして入社した年の10月から、このサービスが開始されました」
このシステムの開発には最初はもちろんプログラマーとして、そして現在ではプロジェクト・リーダーとして企画、設計を担当している。このTPS1000 のサービス提供開始時にはユーザーである会計事務所は8社にすぎなかったが、現在では約6500の会計事務所に、このサービスを提供しており、対象となる企業数は42万社に達している。税制の改正やOSの進歩にあわせてTPS1000もバージョンアップし、これに越沼は一貫して関わっている。
さらに越沼は電子申告システムであるe-TAXシリーズの開発にも取り組んでいる。電子申告制度はそれまでの書面による申告に代わってインターネットなどを通じたネットワークで申告手続きを行うものである。諸外国では電子申告制度は個人を対象に開始されることが多いが、日本では法人を対象に2000年から2003年にかけて実験が行われた。2004年2月には名古屋国税局管内の四県(静岡•愛知・岐阜•三重)で実際の所得税の申告、そして3月には法人税の申告に用いられている。このシステム開発の責任者となったのが越沼である。
ここで越沼は企画、設計の担当者として、全体のシステムの構成やユーザーインターフェースを考えた。つまりTKC の電子申告システムの構想は越沼一人に任されたのである。
ただし国税庁が示した電子申告システムの要件は、それまでTKCが開発してきたTPSと設計思想が基本的に同じであり、大きなギャップはなかった。この電子申告システの実験段階から越沼は関わっており、「何よりも設計が重要です。設計に時間をかければプログラミングの時間は大幅に減らすことができます」と語っている。2004年1月に、「TKC電e-TAX 電子申告システム」は完成した。
もっとも電子申告システムの構想が越沼一人に任されたといっても、そこには厳しい社長レビューがある。TKCではシステムの完成までに企画レビュー、ユーザーインターフェースレビュー、出荷前レビューの三段階の社長レビューを受けなければならない。これがかなり厳しいレビューらしい。社長はユーザーの視点から開発中のシステムを評価し、レビューカードを渡す。このレビューカードの右側にはS、A、B、C、の評価が書かれている。この社長レビューでは、社員、技術者は相当緊張するらしい。ところが越沼は「私は結構うまくいっている方です」とけろりといった。
税務システム開発の困難さ
一般のアプリケーションソフトウエアの開発と電子申告を含めた税務システムの開発とが異なるのは、税務システムなどにはその背景に税法があるということである。そのため、税法の解釈は専門家が行い、税法解釈の仕様書が作成される。それに基づいて越沼はシステムの設計を行う。この際重要なことは「会計事務所で、税理士、公認会計士さらには職員さんが利用しやすいシステムをつくることです。プロの税理士、公認会計士でなくとも、ある程度の経験を積んだ職員さんでも利用できるシステムをつくることが必要です。そして最低限の入力項目で、適法な申告書を完璧に作成、出力することです」と越沼はいう。
「税法の改正とともに、ユーザーがどのようにシステムを使うのかが重要です。システムのユーザーである税理士、公認会計士によって、TKC全国会が組織されています。その中にシステム委員会があり、ここでユーザーとともにシステムのあり方を考えて、その意見をシステム開発に反映させています」
法人税申告書作成システムでは、申告時期は決まっているので、その時期には集中的にサービスを提供しなければならない。さらに開発の大変さについて越沼は次のように述べている。
「申告する税額には一円のミスもあってはなりません。ミスがあったら申告書としては役に立たないわけです。ミスの原因はプログラミング上のミス、設計上のミス、判断ルールのミスなどがあります。このようなバグ発生はサービス提供開始時に多いのですが、バグが発生した時が一番青ざめます。意気消沈します。でも悪いことはすぐ忘れます」
起こってしまったミスにはいつまでもくよくよしない越沼だが、このこととバグ発生の原因追求の話とは別である。
「バグが発生したら、会計事務所に連絡を取り、すぐにバグをつぶします。そしてバグの再発防止のために他の部門長も集まり、バグ内容を分析して、発生原因を突きとめます。それをレポートにまとめて、社長レビューを受けた上で、再発防止策として開発者全員に周知徹底します」
電子申告システムの開発にあたっては、これまで多くの新しい技術を導入してきた。しかし、すでに述べたようにこのシステムには申告期限という厳しい納期がある。
「新しい技術を利用すると、それで本当にシステムが期限までにできるのかという大きな不安感が常にあります。不安感をなくすために、上司や部下に確認しますが、それでも不安感は残ります」
社長レビューを初め各種のレビューを受けるとはいえ、TPS1000、e-TAXシリーズの構想を一人任される越沼にとって、相当なプレッシャーがあることは十分に想像できる。
しかし、それだからこそシステムが完成し、出荷されて、それが高く評価されると率直にうれしいという。
「普段は宇都宮にいるので、直接ユーザーの声を聞くことは少ないのですが、TKC全国会のシステム委員会で事務所の業務の効率化に役立っているといわれると本当にうれしい」
現在、越沼は宇都宮のシステム開発研究所に勤務している。東京に出てくるのは、TKC全国会のシステム小委員会に出席するための月に一回程度だという。
システムの意義の徹底
電子申告システムを含めて税務システムという性格上、システムの開発は税法の改正に大きな影響を受ける。たとえば2003年の連結納税制度の導入などで大きく税制が改正されたために、システムの改訂は大規模なものとなった。
「開発するシステムの意義を開発者に徹底することが重要です。システム全体を理解させた上で、各人が自分の担当している部分は、システム全体のなかでどのような意義を持っているのかを理解することが必要です」
また技術者として重要なのは「まず第一に、開発しているシステムに好奇心を持つこと、第二に論理的に理解すること、第三に実際にものをつくるという実行力」だという。
「これまではパソコンのスタンドアロンのシステムが多かったが、これからはADSLなどブロードバンドの利用が前提となるため、開発するシステムのインフラが大きく変わります。システムはネットワークを利用することで、会計事務所そしてその顧客の企業にとって、より便利なものになります。またパソコンもより高性能になり、その結果これまで以上にユーザーフレンドリーなシステムの開発が可能になります」
また若い技術者に対して越沼は次のように述べている。
「今はプログラミングをやっていても、それにとどまって受け身でいてはダメです。次のシステム設計の段階へ能動的にならなくてはいけません。プログラミングをやっていても、常に好奇心を持ち、その一段上を見て仕事をしなければなりません」
また、「経験が豊富になればなるほど高度なシステムの開発を任されます。その際社会に役に立つシステムをつくつているという自覚が必要です。自分のつくったものが世の中に影響を与えているという自覚を持つことが重要なのです」とも述べる。
(参考文献)TKC編著『ふるさと日本35』(TKC社史)TKC刊、2001年
(takashi umezawa)
注 所属、役職等は取材時のものである。